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脚本担当なのに原稿が真っ白な姥貝です。
助けて露伴先生。 PR |
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松本です。
先日、中板橋新生館スタジオへ芝居を見てきた。ホチキスの山本さんが客演してたのさ。来週か再来週に一緒に山登りに行くし、山本さんの客演は見たことがなかったので、残り少ない財産を握りしめて見に行った。正直貧乏できつかったが、なんとか今日まで節約に成功したので、よかったよかった。来たれ明日と木曜日の給料日。 初めてホチキス以外の山本さんを見たわけだが、山本さんの間合いというか、山本さんらしい演技を見れた。のは、最初の方だけで、後半になるにつれ、どうも役者同士の絡みが一方的になり、どうもまとまりがなくなってきた。後半と言ったが、それは私の印象で、初めからだと山崎さんは言う。言葉のキャッチボールが出来ていないと。 そう。驚いたよ。ホチキス山崎さんも見に来ていて、隣で見させて頂いたのさ。 お金の話を最初にしたのはわけがある。芝居が始まる前に、「終わったらメシ行こうよ」と誘われた。即座にはいと答えた私の財布には700円しかなかった。 正直に話した。 「(笑)いいよ、出すよ。〇〇だからさ」この〇〇の内容が憧れるぜ。言えないのだけど。 話は変わるが、私がブログを書くと、言えないこと書くことが多いね。全部ホチキス関連だけど。 ま、結局山崎さんと飲み、見た芝居について語り合った。頭から話を洗い、穴を探し回った。悪いのだけど、その作業が楽しかった。結構突っ込みまくりで笑ったり、まじめに話したり、山崎さんは宝箱みたいだった。勉強になったなぁ。 途中から山本さんも加わり、三人で飲んだ。初日だったので、緊張も加わりクタクタだった。 芝居の話、俺の話、関係ない話などをたらふく語り合い、すっかり時間を忘れて話し続けてしまった。気づいたら終電だったので、気づいてホント良かった(笑) 話しの中には、聞けば聞くほど興奮しちゃうことや、後の僕の運命を大きく変えてくれた内容もあった。どちらも今はやっぱりオフレコだ。後の運命て、3日しか経ってないのだが、今日、大きく変わった。27日に兄貴分のヤマさんには言おうっと。お酒飲みに行くから。 とにもかくにも、思いもよらぬことが起きた日だった。 さて、話は大きく変わりまして、中板橋新生館スタジオと言えば、我がガッシャブルムが第2回公演である、「多摩川戦隊タマリバー」を上演したところだ。2年ちょいぶり。もうスタジオに入った時の臭いとか懐かしかったね。変わらんよ、あそこは。 このスタジオと同じ系列のスタジオで、第七秘密基地というところが要町にある。2013年1月12日土曜日、13日日曜日、劇団ガッシャブルム第3回だか4回だかの公演が行われる。数字がはっきりしない。劇団員諸君、どっちだっけ?オムニバス公演は番外だったっけか?正式? 私は松本理史。劇団ガッシャブルム代表だ。 とりあえず2年ぶりの公演です。このブログを見た皆様、ぜひ見に来て下さい。詳細はまた後日!! |
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帝の力はすごい。
今回、劇団員が初めて差し入れを持ってきてくれた。今まで、一度として持ってきてくれなかった奴らが、一体何を? 嬉しさと戸惑いの中、袋を開けると、 ユンケル黄帝陛下様が・・・・・!!!!!!!!! 私が風邪をひくと、時々お世話になっている。 ここでも実話を話そう。今回の公演、これがなかったら、最後まで出来なかった。 いつも寝る前に飲んで体力の回復に使用していたから知らなかったが、これ、めちゃくちゃ効きますね。 俺「あぁ・・・。やばい。こんな状態で、芝居が出来るのか?も、もう・・・、やばい・・・。 はっ。そうだ、昨日差し入れでもらったあれがある!!」 ゴキュッ、ゴキュっ、ゴキュッ。 もうドーピングした馬のように体は燃え、汗は噴き出て、暴れまわりましたよ。 しかし、次のステージ前になると、反動が来る。 俺「ぐ・・・、ぐにゅにゅ・・・。も、もう一本だ・・・。ん?」 「ご使用は、1日1本まで」 俺「ガビョーン!!!!」 仕方なく、半分飲みました。ドーピングされた馬のようになりました。 次の日から、1ステージにつき、半分飲むことに。 そして公演終了2日後、疲労とゲリラ豪雨で体を冷やしたことで、「あ、風邪ひく」と思ったので、最後の一本をゴキュリ。 なんとか風邪を回避できました。 最後まで助けられたよ帝。 ありがとう劇団員達。ありがとう黄帝陛下様。 |
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私は老けている。顔も趣味も。演じる役はおっさんばかり。今回アンサンブルさんの中で、「40歳くらいかと思ってました」と言う人もいた。逆にその人は、20歳前後かしらと思いきや、もうすぐ30歳という私と逆のタイプでしたがね。
年上に見られる。よくあることです。よくあることなんです。 しかし、時に、若く見られることもある。 私は今回刑事という役を演じるにあたって、元自衛隊員の友人に、気をつけや敬礼、射撃指導などを受けた。もっとも、台本が書き換わるにつれ、それらを活かせるシーンが減ったが、役のバックボーンとして、どうしても身につけておきたかった。 場所は近所の公園。時間は、23時過ぎてます。稽古の後呼び出してますからね。 報酬は、缶チューハイ。 そう、お酒を飲みながら、27歳の男二人が、銃を構えて(物はなく、持ってるふり)、「この状況になったらどう動く?じゃあ打たれる方が逆だったら?」「弾は何発撃つ?遮へい物はある?立ち位置は?」など、ざわざわしてるんですものね。来るよね。お巡りさん。 お巡りさん「何してるの?身分を証明できるものはあるかな?」 二人(ぎょ~っ!!本物の警察来ちゃったー!!) 友人「ど、どうぞ」 お巡りさん「・・・。え!?85年生まれ?」 友人「は、はい」 俺「あのぅ、保険証でいいですか?」 お巡りさん「大丈夫ですよ。・・・。え!?君も!?ごめんなさい、未成年かと思って」 どうやら未成年がお酒飲んで騒いでると思ったみたい。最近悪さをしているのがいるらしい。 二人とも全く気分を害さず、お巡りさんを見送ったとさ。 二人「はっ!!ちょっとぐらい話をきけたかも!!」 |
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今回、波風刑事(本当は波風さぶって名前だったのに、当日パンフレットで消えていたのは何故?)という役を演じた。
いつも通り老け役だが、いつもと違う。 まず、動く。 私はいつも演技スペースが限られていた。ほとんど動かずに芝居することが多かった。が、今回は動いた動いた。 もう一つ、結構いろんな役と絡んだ。 前回も数人と絡んだと言えば絡んだ。しかし、ホチキス劇団員とあそこまでがっつり絡んだのは初めて。 以上の事も含めて、演じるにあたって、とても難しかった。最初役をもらった時は(その時、名前は北方さぶ)、老けること、そして刑事というものを映画やアニメで研究。友人に射撃指導等もしてもらった。しかし、演技の技術面でどうしても劣る。 他の共演者や演出家に助けて頂いたこともあった。 しかし、波風という役をあそこまでのクオリティに持ってこれたことにあたって、この人の名前は、絶対に外せない。 劇団ホチキスの不動の相談役、船戸さんだ。 彼が決定的なアドバイス、課題をくれた。本番1週間前のことだ。 ギリギリ合格点を頂き、そこから周りからの評価が格段に上がった。私の小手先の技ではなく、技術として演じられるようにしてくれた。とても大きな経験になった。 本番期間に入っても、ちょいちょい気にしてくれて、声をかけてくれた。すごく励みになりました。 そして、一番の思い出は、最終日前日の夜。こっそり呼び出され、大きなお遊びを持ちかけられた。 私は本気でビビった。怒られるだろうと。 「強制はしない。責任も取らない。ただ、そういうことをしてもいいシーンではあるよ。あとはまっちゃん次第」 結果、私はやった。 最終日以前に来られたお客様。1シーンだけ、皆様が見た演技と違いものがございます。最終日を見に来た方。ああじゃなかったんだよ。 さあてどこかな? 正直本気で葛藤した。私は演出の米山さんをとても意識してしまうからだ。もちろん、もちろん共演者の方々も。 後で船戸さんは言ってくれた。今後の僕の役者人生を考えたら、クリアしなくてはならないことだと。 それは他の人からしたらちっぽけなことかもしれない。しかし、今回の公演で、私がぶつかった課題であり、知らず知らずのうちに逃げ出していたことであった。 そこを船戸さんは、すぐに見破り、突きつけてくれたのだ。 本当に勇気がいたよ・・・。やけくそだったし。 しかし、やったことに対して、彼は喜んでくれた。 演出の米山さんや他の共演者はどう思ったか分からない。勝手なことをしたから。(劇団員数名は分かっていたけど) しかし、今の私の立場を考えたら、悪いけど、どうでもいいことだったのだ。あのお客さんの笑い声が答えだと思いたい。 そして、最後の最後まで、彼は私にはありがたい存在でいてくれた。私の今後の課題を、大きく二つ、与えてくれた。 彼なくして、今回の公演をやり遂げることはできなかった。敬意を込めて、感謝を言いたい。 |
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