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松本です。
もう9月が終わる。もう夏の思い出がどうとか、言ってらんねぇ。だから次回が最終回。 今回のタイトルだが、なんか事件を起こそうと企んでいるわけではない。ただ、そう思ったことがあるのだ。 私が住んでいるのは、東京といえど、山だ。冬になるとタヌキが出て来るのは、自慢にならない自慢だ。 で、夏なのだが、セミがすげぇ。 いっぱいいる。いっぱい鳴いてる。どこにいても、どこまで行っても、大騒音。明け方の数時間以外、ものすげぇパワーで鳴きまくってる。 友人達は、「これはもう公害だよ。駆除しろ」とか、「市長選挙でもしもセミを駆除するって人がでてきたら、その人に入れる」とか、言っちゃうくらい。 しかし夏が終われば、やっと騒音から救われる。 私は、春になると綺麗な、桜並木を通って駅に行く。やっと涼しくなって、静かになって、一年で一番良い時だ。と、歩いていて、ふと下を見て驚いた。 毛虫の絨毯が出来上がっているではないか。 いらねえよこんな敷物。うぅ・・・。エグイ・・・。 どこもかしこも毛虫。と、死体。 燃えろ・・・。 次回、夏の思い出 最終回「お宮な松本」 PR |
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松本です。
それは去年の春のこと。そのニュースは突然私の耳に入った。 「SOPHIA活動休止。キーボード都啓一、癌」 あまりのショックにこのブログの記事にもした程だ。悲しみの行き場がなかったからだ。 私はSOPHIAのファンだ。ずっとファンだ。12歳からだから、もう人生の半分以上ファンだ。 特に、都さんのファンだったので、衝撃は更に大きかった。彼のキーボードを弾く姿のカッコイイこと。一番カッコイイと思う。他の人の弾く姿をほとんど見たことないが。 そして去年の秋。そのニュースは突然私の耳に入った。 「都啓一、手術成功。来年夏、活動再開」 超喜んだ。 で、行ってきたのさ♪ 110813_135847.jpg ↑ やったね。 場所は日本武道館。私が高校生のとき、初めてSOPHIAのライブに行ったのもここだった。 なんでもチケットは即完だったとか。 私はいつもチケットを取ってくれる人がいるので、見れた。いつもありがとうございます、Oさん。 武道館の中のあのヒヤリと冷たい空気。広い空間。ワクワクと緊張が増しました。ほんとすっげぇ緊張した。なんでだろ? ああ・・・。そして、開演前に必ずエディット・ピアフの曲が流れるのだが、2年ぶりで懐かしく、嬉しい。 開演直前に流れるのは、お馴染み、エディット・ピアフの名曲、「愛の賛歌」 この瞬間、いつも嬉しさで泣きそうになるが、今回は特に・・・。 曲が終わる。全員拍手の嵐。そして出て来るメンバー達。 都さんも、元気に、手を振って、笑顔で、笑顔で歩いていく。 「ああ、良かった・・・」 誰もが思ったであろう。 そしてライブは、愛の賛歌をSOPHIAがカバーした曲、「青空の破片」で幕を開ける。 私の席なのだが、むちゃくちゃ良い席だった。 日本武道館の中央にステージがあるので、360度客席。私は東側。 SOPHIAの立ち順は、左、この場合は西からベース、キーボード、ヴォーカル、ドラム、ギターと決まっている。 「都を見るなら西。真逆かいっ!!」 友人と二人で少しがっかり。 が、いざ始まると、その考えが浅はかだということに気づく。 キーボードはL字に置かれている。そう、弾くときは正面か東を向くのだ。 そして私たちは一階席の一番前。むっちゃ近!!あんなに近くで見たの初めてで、大興奮。 そして何故かヴォーカルの松岡充も、正面か東ばっかり向いて歌う。 な、なんちゅう良い席だ・・・。 MCが多いバンドなのだが、それはファンとしては嬉しく思う。が、今回はライブの3分の1がMCという、しゃべってばかりのライブだった。 理由は、都さんの体力がまだまだ回復していないから。 気にせんでええねん、そんなの。久しぶりに話めっちゃ聞きたいわ。 いろんな話を聞かせてくれた。 とても感動した。 胸を打たれた言葉がある。 「幸せに死にたい。せっかく助かった命だから、精一杯やれることやって。曲作って、励ましてくれた皆に少しでもお返しが出来るように、やれるだけやりたい。命の、最後の炎が燃え尽きる瞬間まで、精一杯やって、幸せに死にたい」 言葉の重みが凄かった。 ラスト、いつもはアンコールをやらないバンドなのだが、この日はやってくれた。 ラストを飾ったのは、「Thank you」という曲。 松岡充から都に、「戻ってきてくれてありがとう。無事に帰って来てくれてありがとう」 そんな思いを込め、まくって歌っていた。 SOPHIA復活!!!! ああ嬉しい。 ※どうでもいい情報。ドラムの赤松さんとは誕生日が一緒さ。 次回、夏の思い出 「火を放て。我が街に」 |
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多分、いま、疲れたおっさんな顔をしていると思う姥貝です。
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台風が暑さを持って行ってくれて涼しくなってきた。やったー。グッバイ夏バテ。
年々、とても夏に弱くなっていく松本です。 8月の中旬のことである。そう、やっと始めた夏の思い出編なのに、早速夏後半の話ですまない。 私は姥貝氏と、高校の演劇部の顧問の先生と会っていた。それはとあるイベントを観にいったためである。 先生と再会したのは6月ぐらい。6年ぶりの再会なのに、隔たりを感じさせない先生である。今でも仲良くしてくれるのは嬉しい限りだ。 その時に、イベントに行こうという話になった。 そう、私とメンバーの姥殿は、高校の先輩後輩の間柄なのである。ちなみに代表の私が後輩だ。 実際、先輩と深く関わるようになったのは、在学中というより、私が卒業をした後だった。 たまたま高校演劇に二人が関わることになり、そこで再会を果した二人は、その5ヶ月後、ガッシャブルムの前に結成していた、劇団鍵穴を結成。この時の代表は姥殿だ。 当時大学生だった我々は、演劇以外に強く結びつけるものがあった。 酒だ。 しかし我々は貧乏学生で、当時私は熊谷に住んでいたため、東京に行くのも一苦労。 そこで我々は、「貧乏飲み」と称し、飲み屋に行くと、つまみはほとんど頼まず、その店で一番安い焼酎を頼み、水と氷で頑張るという飲み方をしていた。 結果、いつしか二人とも、焼酎が大嫌いになった。(私は今は飲める) 名前を聞くだけで吐き気がするぐらい飲んだのだ。ちなみにその時飲んでいた焼酎の名前は今だに覚えているが、書かない。 じゃあ次はどうしようかと。先輩が、そのまた先輩に教え込まれていた、日本酒である。 そう。私が日本酒を飲むようになったのは、姥殿の影響なのだ。 私が大学3年生になり、熊谷から東京に戻った頃。我々は、日本酒にハマりにハマっていた。 そんな折、我々は、ある飲み方を考案した。 そいつがこれだ。 110821_172138.jpg ↑ 嗚呼、青春 我らが母校は、多摩川に面していた。そして卒業した後も、遊びに行っていた。 我々は、川原で飲むことにした。 これを「外飲み」と呼んでいる。 この外飲み、ただ川原で飲むだけがメインではない。そもそも何故川原で飲みだしたか。 「飲み屋に行くと、一人3000円はする。ならば、はじめから3000円を出して、普段俺達が飲めないような、高い酒を買って飲もうぜ」 二人で6000円。もう一人の仲間がいたら9000円。そのお金で、まだ20歳過ぎてそこそこの我々は、純米大吟醸のお酒を買って飲んだのだ。 当時は純米大吟醸なんて、持つ手も震えるほど、緊張してコップに注いだものだ。そして一口。口に含むと広がる、まぁなんとも素晴らしいお米の香り。水が染み込むように、優しく喉の中に吸い込まれていく。あまりの美味さに口の中にツバが溜まる。また一口。まったく、いつまでもニヤニヤしながら飲んだものだ。 そしてこの美味い酒を飲みながら、遅くまで語り明かした。悩みを打ち明けた。 夏になると、必ずやっていた、我々の一大イベントであり、青春だった。 しかし、大学を卒業してから、すっかりご無沙汰になっていた。毎年「やろう」と言うのに、いつも流れていた。 それが今年、先生との再会も経て、学生時代を思い出し、3年振りに実現した。 私がお金が無かったせいもあるが、初めは酒屋で安い酒を二本買って飲むつもりで、一生懸命選んでいた。が、すぐに二人は思い出した。「そもそも、外飲みとは何であったか?」 二本の内一本は、5000円のお酒にした。 3年振りの外飲み。まるで学生時代を思い出したかのように、べろべろになり、いつまでも話が尽きない。尽きなすぎて、危うく終電を逃すところだった。「もう3時間ぐらい経ったかな?」と思って時計を見たら、6時間近く話し込んでいた。 とても懐かしい、我々にとって、夏ならではの思い出になった。 次回、夏の思い出 「復活」編 |
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某密林で注文したものが発売日に届かないのでキャンセル。
そのまま普通に買ってきた。しかも初回版のサントラついてた。 アマ○ンは特典なしだったのにな…。ア○ゾンネタはたむらです、どうも。 さあプレイしよかと思ったら、ちょっとやらねばならないことを思い出す。 作業がひと段落。なんか頭痛で頭痛い。プレイは明日にしよう…。 これなら今日買いに行かなくてよかったんじゃね? 俺は安心を買ったのだ、という自己満足。←いまここ |
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