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すっかりご無沙汰しております。松本です。
突然だが、先週、祖父が亡くなった。 私の両親がお世話をしていたので、私も早くから祖父の家に向かい、何か手伝えることはないかと思ったのだが、葬儀屋さんの対応の素早さと、父の働きで大したことは出来なかった。そんなものさ。 最近、どこも葬儀場は大変らしい。葬儀を行うために、1週間前後待つのはよくあることなのだそうだ。うちは3日後に葬儀を行えたので、スムーズな方らしい。 その3日後。家で納棺し、葬儀場に向かう前に、映画「おくりびと」の、あの儀式をやったのだ。名称を知らないから、みんなおくりびとと呼んでいた。 体を拭き、白装束を着せ、親族に顔や手を拭かせてくれたり、三途の川の渡賃の6文などの装飾品をつけさせてくれる。 更に、ひげを剃り、シャンプーをし、散髪までしてくれる。最後に、男性なので薄化粧をして、納棺。 私もだが、親戚一同、初めてそれをみた。 「ここまでしてくれるものなのか」という感動と、親族全員で旅立ちの準備をさせてくれたことへの感動で、全員が満足した。 おくりびと。あれがこんなにも素晴らしいものだったのかと思うのは、やはり、実際に見てみないと分からないと思う。 不思議なことに、親族が顔を拭いているとき、段々と顔色がよくなっていった。不思議だ。 大変穏やかな死に顔で、葬儀屋さんも大変に親切で、手際もよく、料理も美味しく、とても良いお葬式が出来て、本当に良かった。 肺炎で亡くなったとはいえ、最後は苦しまず、眠るように亡くなったとかで、97歳の大往生であったことは、少なからず悲しみを減らしてくれたと思う。 最後に、死に顔とはとても不思議だ。大事だとも言えるかもしれない。 私は親の次に駆けつけたので、次々来る親戚を出迎えていたのだが、みんな当然悲しみに満ちた表情で来る。言葉も少ない。 しかし、線香を上げ、死に顔をみると、そこには穏やかな顔がある。 すると、誰もが「ほっ」と、安心をするのだ。 苦しまずに逝ったことが、やはりそこで伺えるので、せめてもの救いになるのだろう。死に顔は大切みたいだ。 私はといえば、死んでるのに目元が力強い、などと考えていた。 私は祖父が大好きだった。 PR |
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